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  • tkmtrk98

今日時点での手記

2023/06/25

今日時点での手記


なんとなく今文章を書いていたほうがいいと思った。誰に見せるわけでもなく、いや、見せると思うけど、文章の頭ひとつ空けるとか、そういうのは気にせずに頭の中にあることをひたすらに書き連ねていこうと思った。今日時点での遺書みたいなものである。死ぬ気は毛頭ない。もしかしたら明日雷に打たれて死ぬかもしれないし、後で買い物行く時に車にたまたま轢かれて死ぬかもしれない。私は割と誰しもがいつ死んでもおかしくないと思いながら生きている。(だからこそ誰にも死んでほしくないと、毎日思っているし、小さい頃なんかは眠る前に大事な人の名前を1人ずつ思い浮かべて、明日も死にませんように、なんていつもお願いしていた。)

とにかく今日この時点での遺書である。作品とかブログとかツイートとか、そういうのは私が死んだ時に家族とか友達が拾って集めて思い出してくれたらいいなと思って全部作っている。この文章もその一つにすぎない。もし後で買い物に行った時に轢かれて死んだら困るので、買い物に行く前にブログにアップロードしておこうと思う。無事に帰ってきたらそれはそれでいい。とにかく、人には死んでほしくない、というか人が死ぬのを自分が見たくない。できれば大事な人たちよりも早く、最初に死にたい。親の死に目なんか見たくない。自分の死に目も見せたくないが、大事な人が死ぬのは恐ろしい。

(この話の続きを書く前にひとつどうでもいい雑談をさせてほしい。頭にあるから仕方がないのだ。6月にもかかわらず私は夏バテをしていて、この3日くらい家でくたばっている。働いているほうが、気がしっかりしているから元気なくらいだ。明日本当に出社できるのか?と不安になるくらいくたばっている。暑くてずっとベッドの上でグデグデしていて、やっと15時ごろに起きて、もちろん朝に洗濯は済ませていたのだが、その後お昼寝をしてしまって、それで15時ごろに起きて、本を読もうと思った。本を読むにも携帯が邪魔をしてくる。でも邪魔なりに読書の役に立つこともあるようで、携帯の中に私はひとつの記事を見つけた。「ADHDはホワイトノイズを聞くと集中力が上がる」というものである。そういった診断を受けたこともないし受ける気もないが、自分の特性的に生きづらさを感じる私は、自分にも当てはまって読書に集中できるのではないかと思い、ホワイトノイズを流しながら読書をした。結構集中できた気がする。しかし10分も経たずに文章が書きたくなり、今こうして文章を書いている。最初はホワイトノイズを流しながら文章を書いてみたが、パソコンで書いているので、その音がパソコンが調子悪い時のシューシュー音に似ていたのでイライラして消した。どうしようもない人間である。)

なんの話をしていたんだろうか、先の文章を見返してもわからなかった。遺書の話、というか「印」の話がしたい。これをずっと書きたかったのだが、この間ツイッターで呟いてしまった。あれよりいい文章を今書ける気がしないので、一旦引用してみる。あんなに話したかったのに今はもうめんどくさい気持ちが勝っている。もう17時だ、自分にイライラしてきた、でも日が暮れたら買い物にいこうと思ってたしいいかな。とりあえず一旦、引用。暑くてマジでイライラしてきたな。なんかもう今、気持ちがめちゃくちゃになってる。心臓がずっとドキドキしててしんどい。とりあえず引用してみる、自分何いってんだよって気持ちがさらにイライラを増幅させるし、微妙に伸びた爪のせいでキーボードちょっと打ちにくいとかそういうのも腹が立つ。

ここから引用

「お母さんのご飯を毎日食べていたのは、その当たり前を食べていたのであって、今振り返ってみるとその時の私は『その時への戻れなさ』を食べていたんだなと思う。『以前の私』は時間が経つと記憶の中に印をつけて気分の記憶の道筋に存在するが、以前の私→今の私と移行するにあたって、以前の私の場所は印のみが存在し、空っぽのままである。今の私の場所には「今の私」が存在して満ちている。「以前の私」として以前の私を今の私が認識するには、その印を目視するためには、移行しなければらならず、その移行は分かりやすくいうと「お酒の飲めない19歳の私」の印を見るためにはそこから移行して、お酒の飲める今の私が見るしかない。19歳の私の場所は空っぽで、印のみが残っている。「お酒の飲めない19歳の私」の印を見るためには今の私がお酒を飲む必要がある。明確な以前以後を見て、印を記入するためである。今の私が19歳の私を思い出し、引っ張り出すためにはその印を見て記憶を紐付けなければならない。なんで今こんなことを言うか、おんぶして貰ったあの日の夕方には戻れないけど、その瞬間は戻れなさなんか感じていなかったし、今振り返ってその印を見るしかないのであるが、その印を見るにはその瞬間を以前のものとして過ぎ去らせ、自分が変化する必要がある。今はもうおんぶしてもらえない。

ここまで引用。

何いってるんだこいつはという感想しか出てこない。しかしこれを書いた時からそんなに時間が経っていないので、その「印」を見れるほどこの時から移動はしていない、なので冷静に見つめ直すことができない。頭の中がぐるぐるする、普段はもう少し整然とぐるぐるしているのに今日は調子が悪い。そうか、今日は調子が悪いのか、認めたら少しだけ楽になる気がする。一日無駄にするしかなかったのだ。まあそれは置いといて、最近家族に明確な変化があり、今までと今とこれからが全く違うことを意識しないわけにはいかなくなった。嫌だ、嫌すぎる。できれば幼稚園から帰ってオロナミンCを飲んだあの瞬間に戻りたいし、おじいちゃんちでずっと絵を描いてた日に戻りたいし、中学の部室でくだらないことを話していた時に戻りたい。今は今でいつか戻りたいと思うような尊ぶべき過去になるのだろうか。実家を出てからずっとそんなことばかり考えている。散歩をしている時、仕事で出かけた時、この場所はあそこに似ているななんて思う。電車に揺られて目を瞑っていると、阪急京都線にいるような気がしてくる。憎さ余って恋しさ100倍のブーストがかかっているだけなのだろうか。帰りにからあげクンを買って食べる。大学の帰りにも買ってバス停で1人食べていた。からあげクンを食べている私の座標だけが変わっただけな気もするが、あのバス停には二度と戻れない。からあげクンを食べていたことは、記憶の中の印だ。その時聴いてたラジオの話題なんかも思い出したりして、印は匂いも音も気温も全て引っ張り出して、そして戻れないことを突きつけてくる。大学は辛いことが多かったので、割と、あんまり戻りたい地点ではないのだが、戻りたくないせいで記憶が消えてる部分もあるし、でも友達の家に5日連続で泊まった時とか、制作室でチキンを食べたクリスマスとか、戻りたいなと思う地点もいくつかある。(つちのいえで展示をしたときに、大学の話より友達が親知らずを抜いた話の方がずっと面白くて、たまに思い出し笑いをする。印は作ろうと思ってできるものではなく、2つ以上何かが重なって色濃くなった瞬間に刻まれるのだと思う。)

もう17時半になろうとしている、買い物に行きたくてまたイライラする。本も全然読めていないが、これを書くことはかなり集中している。暑い。

とにかく、その印のために生きているし、全ての瞬間は思い出されるためにある、と思うのだ。

これを友達に言ったら「そんな悲しいこと言うな」と返されたが、何が悲しいのかがわからなかった。SexyZoneの曲で好きな歌詞があり、「思い出は闇の中で光る星さ」といったフレーズなのだが、とにかくこれが好きなのだ。思い出は先を導いてくれるものであるし、暗い今を照らしてくれるものである。それを人生でいっぱい集めたら、どんな時も大丈夫になれる気がする。


また、少し話は戻るが、その辺を歩いていて、「懐かしい道」に似ている道を見つけたとする。「似ている道」は「懐かしい道」の印を引っ張り出して思い出させるが、依然違う道である、全く違う道である。その重なった2重の道、というか勝手に重ねた道、似てるものに恋しても似ているものでしかないのだが、似ているのである。似た特徴を書き出してその偶然性を拠って拠って運命を紡ぎ上げる。


私は北斗に母を見ているのだと思う。そして自分を見ているのだと思う。北斗を愛し許すことは、母と私を愛し許すことになる。最近気づいた。そんな見方してごめんね北斗。


いよいよ文章にまとまりがなくなってきたが、私の頭の中、ひいては人の頭の中などそんなものだろう。今うち間違えていたが、Macの気遣いによりこっそり直してくれていた。ありがたいが少し腹が立った。自分で直せるのにと思った。今はただ、頭の中身を全部出して、それを並べる努力をしないだけの時間である。


最近凪にすることを努めていた筈の精神が、凪になったと思いきや、混濁を抑圧していただけのことに気づく。私は病気なんじゃないかとよく思う。1人になってより一層思う。病気じゃない人なんていないと思うが、より一層精神は混濁へ向かっていくように思う。いつか怪物みたいになってしまうような気がして、でもなんかもうすでに、牙やツノが生えかけてきているような感覚である。端的にいうなら統合失調とかそういう未来が近いような気がしてきた。(念のため断っておくが統合失調や精神不安の患者の方が怪物だと言いたいわけではない。)ただ、自分が崩壊するまでのカウントダウンみたいなものの秒針の音が大きくなっているような気がするだけである。そういった意味でもこの遺書は貴重かもしれない。今を尊ぶ未来が来るのだろうかと、先に話したが、健康なつもりの今を未来の私は羨んでいるかもしれない。もちろん何事もなく今より幸せな未来が待っていることを願うほかないが、いま未来に移行していて、この今日の印を残すことが、今後の私が振り返った時どうみるのかは、本当にわからない。

こうやって一回書き出してみると案外大丈夫な気もしてきて、自分は強いのかもと思う。ちょっと疲れた。そろそろ買い物にいこうと思う。

後で制作のスケジュールとちゃんとしたステートメントを書くのを、忘れないことだ。

17時44分


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