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スローモーションムーンショット​

tkmtrk98

スローモーションムーンショットについて

スローモーションムーンショットはたけもとるかの個展である。

本展は主に

①エピソードトークを話す

②今日の月の写真をできるときに掲載する

③今まで見た月を日付と共に掲載する

以上の3点を行うこととなる。


2023年3月24日から始め、会期は無期限とする。


ここで一つ、私が過去に記した「エピソードトーク的アーカイブについての手記」の

一部分を残しておきたいと思う。これを書いた時と、今では、アーカイブについての

気持ちはあまり変わらない。


「アーカイブ」とは記録であり、記録の連続であり、記録の蓄積であり、つまりは残すことである。「アーカイブ」には色々な 手段がある。 手段の多くは媒体によって分類される。それは主に「形に残るもの」であり、例えば写真や映像などである。「アーカイブ」は網羅的である必要がある。「アーカイブ」は物語ではなく、事実を、その時間の現れを、

演出が介入することなく残すことだ。「アーカイブ」にとって全てをありのまま残すということは理想的である。しかしそれは、切り取るという手法を使う場合、あらゆる労力を考えると不可能に近い。また残したものを並び替えることで簡単に物語が編纂できてしまうのであるから、残すだけではなくその後の取り扱いも慎重にならなければいけないものだ。

( こういう面から見ると、その後のこと を考えずとにかく残し続けるという態度は雑多で

ありながらも誠実であるかもしれない。)

ここで一つの提案をしたいと思う。その提案を「エピソードトーク的アーカイブ」と呼ぶことにする。それを簡単に言い換えると「思い出について、言葉を尽くして描写する」ことである。 そしてそれを聞いた誰かが、また他の誰かに話したり、ふと思い出したりすることで、「その話を知っている人がいる限り残る」という点での「アーカイブ」としての態度である。これは形に残らない。 ...写真でも映像でも無くしてしまえばなくなってしまうのだ。悲しいことは忘れることだと思った。私が話したエピソードを友人が忘れていたとしよう。それを思い出さなかったとしても、 私はエピソードとして友人に残るまで喋り続けたいと思う。悲しいことは忘れることなのだ。 語り続けることで、喋り続けることで、どこかにそのエピソードを残していく。そうすれば例え私が忘れてしまっても、以前私からエピソードを聞いた誰かが、また私に

喋ればいいだけなのである。だから、出来るだけ喋って残す。語って残す。言葉を尽くして思い出を描写するのだ。そうして残していくことが私の本展示における形に残らない

「アーカイブ」の態度である。


2023/3/19 たけもとるか


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